【ワンピース】「大抵の死は不本意なものだ」修羅場の数&四皇幹部の言葉の重みについて!

ついに公式のチョイ見せにて、次回の882話の内容が公開されたね!

ぶっちゃけこれ単体で得られる情報はかなりすくない…というのが正直な感想なんだけど、カタクリの放った「大抵の死は不本意なものだ」というフレーズは、とても印象的なものだった。

不本意なる死をいくつも見てきた。

そんな四皇幹部だからこそ、このような台詞に辿り着いたに違いない!!

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「大抵の死は不本意なものだ」修羅場の数&四皇幹部の言葉の重みについて!

言葉とは、その人にとっての常識の内側によって培われ、選ばれ、発せられるもの。

だからこそ、選ばれる言葉は人の内面を象徴するし、その人が歩んできた道程も暗示する要素だと思うんだ。

ワンピースの世界は非常に注意深く選び抜かれた言葉で描かれているのが特徴で、その一言一句に強いこだわりが感じられるよね!

例えば、以下のワンシーンについてもそうだ!


ワンピース881話より引用 ルフィの歩いてきた道程と、カタクリの見てきた海賊たちの末路が交錯してる印象を受ける!

上記のカットは881話のソレなんだけど、これは特に印象深いシーンだと思う。

ルフィはいつも通り啖呵を切っている感じではあるんだけど、この言葉の裏にはいくつかの要素が散りばめられているかのようだ。

こんなところで死ぬ気はない。

では、どこでならば死ねるというのだろうか?

対カイドウとの戦いを見据えているから、この言葉が出たのかな?

いや、それとももっと向こう側。

エースが心残りだと語っていた「夢の果て」を見据えているから、この言葉が口を突いたのかもしれない!

対してカタクリの様子からは「そう言って不本意にも死んでいった海賊たちを無数に見てきた」といった雰囲気が感じ取れる!

上記2人の対峙ひとつだけでも様々な要素が汲み取れる辺り、ワンピースのコダワリの深さに感嘆してしまうばかりだ!!

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身を置く常識が変わったら、口を付く言葉の性質も変わる…みたいな話!

後半ではその他の登場人物の“深い言葉”について触れていきたい。

人間は「当人の常識の外側にあることについては言語化出来ない」…という特性を持っている。

知らないことはわからないし、思いつきもしないことは発言できない。

このことを前提とすると、以下のペロスペローの発言も、非常に深みを帯びてくると思うんだよね!


ワンピース864話より引用 ジェルマはこれから食らう牛に同じなんだという!

姑息で残忍な特徴が際立つあまり、自身の直接戦闘能力はそこまで高くないように感じるペロスペロー。

「これから食う牛の声に耳を傾けるかね?」

カタクリが“不本意なる死”を長年見続けてきたのと同じように、ペロスペローもまた“無慈悲なる死”を多く見続けてきたのだろう。

そして、それらは彼らの「常識」となった。

その身に背負う常識が変わったら、口を付く言葉もまた違う性質を帯びてくる。

彼らの言葉をナチュラルに観察した時にその端々から時折感じる奇妙な深み”は、彼らが四皇の幹部として生きてきたことを象徴するものなのかもしれないね!

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