ワンピースで主要人物の一人とカウントしてもいいと思われる、マーシャル・D・ティーチ。
今回はそんな大海賊”黒ひげ”のモデルとなった、エドワード・ティーチについて考察していきます。
ウィキペディアより引用 黒ひげの版画は現在も残っている
ワンピースからは少し話題が逸れるところかもしれませんが、ぜひ豆知識として御覧ください。
こういった予備知識から生まれる考察もありそうです。
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実在した大海賊、エドワード・ティーチ
エドワード・ティーチは1710年ごろに船乗りの活動を始め、私掠船(しりゃくせん)の甲板員としてジャマイカに渡った際に、海賊ベンジャミン・ホニゴールドの子分となるところから彼の海賊人生は始まります。
私掠船(しりゃくせん)とは、戦争状態にあるA国とB国の間で、A国の政府から許可を得た個人が、B国の船を攻撃し、その船や積み荷を略奪する…というシステムを指します。
エドワード・ティーチは本名ではなく、タッシュ、サッチなど、12回も名前を変更しているとされています。
ワンピースの中のサッチはヤミヤミの実の発見者としてマーシャル・D・ティーチに殺害されましたね。
エドワード・ティーチの海賊船の名前は「クイーン・アンズ・リベンジ(Queen Anne’s Revenge)(アン女王の復讐)」。
当時親分であったベンジャミン・ホニゴールドから褒美として与えられた船です。
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エドワード・ティーチの残忍さ、狡猾さ
エドワード・ティーチは航行中の商船などを次々に遅い、金品、食物、酒、武器などを略奪し、抵抗した乗組員は皆殺しにした…というエピソードもあります。
また、部下に対しても相当なイカれっぷりを発揮しており、一緒に食事していた部下の膝をいきなりピストルで撃ちぬくという奇行を行ったりもしたことが伝説となっています。
その時に残した言葉が、
「ときどきこうでもしてやらなきゃ、俺が誰なのか忘れちまうだろう」
というもの。
一説には、荒くれ者だらけの海賊を恐怖でしっかりと統率するためには、このような行動が必要であり、意図的に行っていた行動である、という見方もあるようです。
それはそれでイカれていますね、さすが伝説の海賊です。
黒ひげの最後
彼はイギリスの軍艦パール艦長ロバート・メイナードにより、黒ひげは1718年11月21日ノースカロライナのオクラコーク湾にて発見されます。
エドワード・ティーチを襲撃したメイナード率いる黒ひげ討伐軍は、黒ひげの狡猾な戦略と圧倒的な強さの前に相当な苦戦を強いられました。
終始不利な状況が続き、討伐が完了した時の黒ひげの状況も凄まじく、5発の銃弾と20カ所以上の刀傷を受けていたそうです。
ワンピースの白ひげほどではないですが、こんな人間が現実に存在していたと考えると凄いですね。
ウィキペディアより引用 メイナードの船に吊るされた黒ひげの首
メイナードは辛くも黒ひげを打ち取り、上記のように船に黒ひげの首を吊るしたそうですが、今でもハンプトンでは黒ひげ祭りが開催されるほどのカリスマ的な海賊であったようです。
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