【ワンピース】自由とゲバルト、誰かのせいにせずにはいられない世界について。

照らす角度を変えるだけで全く違うものに見える。

これはあらゆるものに当てはまることで。

今のワンピースを読んでいると“天竜人の支配から開放されること”がひとつの革命のように感じる部分がある。

でもさ、果たしてこれは必ずしも“幸せな未来”に繋がっているといえるんだろうか?

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自由とゲバルト、誰かのせいにせずにはいられない世界について。

このページは、以下の考察の続編って感じで読んでもらえるとわかりやすいと思う!

以下の考察では、人々の内側に眠る“二面性”について示したものだ!

【ワンピース】復讐のシンボルとして標的にされた男、荒ぶる市民たちについて。

この内容は少し極端かもしれないけど、解釈ひとつですべての物事が塗り替わる典型なんじゃないだろうか!

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ワンピース76巻より引用 市民による復讐の対象になるドフラミンゴ一家

現在のワンピース世界は天竜人支配の世界構図を持っている。

ただ、天竜人の権力が暴走してしまったことによって色んな弊害が出てきているのも確かで。

すでに世の中には“恨みの連鎖”がはびこっており、人の心はむちゃくちゃに引き裂かれている!

口を揃えて「天竜人のせいだ!」と叫び、ドフラミンゴ達を攻める人々たち。

彼らはどこか、人間に対して恨みを持っている一部の魚人族たちに似ているような気もする!

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ワンピース65巻より引用 魚人族に蔓延る恨みの連鎖!

一部の魚人族が人間を恨むように、一部の人間は天竜人を恨む。

このような連鎖が、世界の至るところで起こっているんだ!

今のワンピース世界は“誰かのせいにせずにはいられない”という思考パターンに心を支配されている人々達で溢れている!

でも、その考え方こそが不幸を生んでいることは事実なんじゃないだろうか!

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天竜人を倒しても意味がない?

天竜人の権力の暴走が現在の状況を招いたのは間違いない。

彼らの治める世界の延長線上には、本当の“幸せな世界”を望むことは難しいだろう。

彼らの感覚はすでにめちゃくちゃ狂っていて、もはや多数市民の感覚とはかけ離れすぎてしまっている!

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ワンピース51巻より引用 奴隷を鎮静剤で制御する天竜人

人を奴隷として扱うばかりか、鎮静剤で制御するのが日常化している天竜人。

もし“幸せな世界”を望むのならば、彼らの支配体制を崩すのは必要なことではあると思う。

でも、仮に今の支配者を倒せたとしても、第二・第三の天竜人が現れるのは明白。

ではどうすればいいんだろう?

自由と横暴の違いって何だろう?

天竜人は確かに現在のワンピース世界の“問題点”を生み出したキッカケのひとつだと思うけど、どうやらもっと重要な問題がさらに深くに眠っているようだ。

バトワンとしてはこれらを考えていると、どのルートから考察していっても“自由と横暴”というフレーズに辿り着いてしまうんだよね。

では、この2つの違いって何なんだろう?

グーグルで調べてみると以下のような感じになるみたいだ!

  • 自由…他からの束縛を受けず、自分の思うままにふるまえること
  • 横暴…勢力などがあるのをよいことにして、勝手気ままで乱暴なこと

うーん。

口調とか素行が乱暴でも良い人はいるし、口調や素行が丁寧な悪人だって存在する。

そう考えると、もはや“自由と横暴”っていうのは類義語なんじゃないだろうか?

天竜人の支配から開放されることで人々の“自由な世界”が訪れるとすれば、それは市民にとっての“横暴が許される世界”と紙一重。

もし後者に傾いてしまったら本気でカオスな“自己中だらけの世界”になってしまう気がしないでもない!

自由と横暴という2つのキーワードの唯一の違いは“他人に対する思いやりがあるかどうか?”という曖昧なファクターに過ぎないんだ。

“幸せな世界”を作るために現在の状況を招いた天竜人を倒すのは必須としても、それだけじゃ足りないってことだね。

まぁワンピースは“冒険物語”だから、ここまで掘り下げる必要もないし純粋に冒険を楽しんでいけばいいとは思う。

でも“ひとつなぎの大秘宝”について掘り下げていくと、どうしても深い部分まで考えなくてはいけなくなってくる気がするんだよね!

ワンピースを通して描かれている“自由”という壮大なキーワード。

このたった2文字の言葉の中に“無限の問い”が含まれていることに、テーマの壮大さを感じてならない!

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