誰もが憧れる平和の象徴、オールマイト。
主人公である緑谷出久も例に漏れず、オールマイトに憧れたひとりであるといえる!
でも、この憧れははたして正しいものだったのだろうか?
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平和の象徴の弊害と勝手に作られる人々からのイメージ!
第一巻で描かれたデクの反応は、ヒーロー社会における一般市民の人々を象徴しているといえる。
バトワンはデクが嫌いなわけじゃないけど、今回はあえて若干“アンチヒーロー”の立場を取って解釈してみたい!
実際にはヒーロー達のことは好きだから、別に悪意は無いことを念頭に置いて読んで欲しいかな!
僕のヒーローアカデミア1巻より引用 オールマイトに憧れる出久の様子!
まず触れてみたいのはこのカットだよね!
第一巻で描かれたオールマイトの動画を見ているデクの反応。
誰かに憧れるのは悪いことじゃない。
しかし、画面越しに見えるオールマイトは、実物のオールマイト“個人”とは全く違うものだと思う。
平和の象徴とはいわば“シンボル”であり、さらに言うなら“アイドル”みたいなもんじゃないかな?
サッカー選手に憧れる少年が「本田選手みたいになりたい!」と願うように。
アイドル歌手に憧れる種所が「西野カナになりたい!」と願うように。
この時のデクはそんな目でオールマイトを見ていたに違いない!
失望に驚くデク!
で、実際に同じく1巻ではヴィランに襲われたことをきっかけに、憧れのオールマイトとの対面を果たす。
時間がないというオールマイトに追いすがり、真実の姿を目にするデク。
僕のヒーローアカデミア1巻より引用 デクの中で生み出された平和の象徴のアイドル像!
上記カットでは、真実を説明するオールマイトに対して「ウソだー!!」と現実逃避しようとしている!
自分の中の“オールマイト像”を脳内で勝手に築き上げ、現実の“一人の人間としてのオールマイト”を受け入れられない。
デクはわりとスンナリ受け入れたけど、上記カットを見る限り…反射的には現実を拒絶していると思うんだよね。
ニュースを見ていると芸能人の結婚とかで暴走しちゃう人とかがたまにいるけど、それもこの時のデクと同じような心理なんじゃないのかな。
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平和の象徴=シンボル=アイドル
平和の象徴とは、いわばシンボルであり、またはアイドルみたいなものなんだと思う。
オールマイトはその重要性を知っていたんだろうね。
僕のヒーローアカデミア93話より引用 心の拠り所がないことを進言するオールマイト
オールマイトは、人々が自ら秩序を保って行動できるとは思っていない。
ある意味ではリアリストなんじゃないだろうか?
そして、だからこそ上記カットのように“シンボル(偶像)”の必要性を説いた。
これはある意味ではオールマイトにとって、人間心理を考えに考え尽くした結果なのかもしれない!
平和の象徴として君臨!
そしてオールマイトは平和の象徴になった。
しかし、これはこれで“オールマイトにすがる人々”とか“なんでもヒーローのせいにする人々”を生み出したといえるのかもしれない。
そういった意味では、死柄木の言った「社会のゴミめ」という発言は、言い換えると「人間の内側の正義感を高めるように働きかけずにどうする?」と再解釈することが出来ると思う。
僕のヒーローアカデミア1巻より引用 平和の象徴として君臨したオールマイト!
良かれと思ってやったんだ。
オールマイトは誰よりも心優しく、弱い人々を助けてあげたいと思うタイプ。
超・超・超いい人。
でも、シンボル(偶像)を生み出すことで、結果的に“ヒーローに頼って楽しようとする人々”を増やしてしまってはいないか?
自分では何もしないくせに、ヒーローのミスなどがあったら“全てヒーローが悪い”みたいに考える人を増やしていないか?
正直なところ、こういう人は確実に増えているといえると思う。
上記の①と②であれば、はたしてどちらが正しいのだろう?
結論はまだ相当先になってしまうような気がするし、そもそも結論なんてないのかもしれないけどね!
平和の象徴があることで、わかりやすく平和は保たれる感じになってはいると思うけど、それによる弊害もゼロではないといえるはずだ!
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