超常が一般化して、多くの人が“個性”という名の特殊能力を持った“超人社会”。
その中で個性を活かして人々を助けるヒーローが脚光を浴びているわけなんだけど、光があるところには必ず闇が生まれるわけでさ。
中二病っぽい言葉だけどこれは結構、真理をついているような気がするんだよね。
【スポンサーリンク】
ダークヒーロー・ステインが掲げる正義感とその過ち、社会に対して投げかける疑問について
“ヒーロー殺し”と呼ばれている敵(ヴィラン)の中に、ステインという人物がいる。
一見すると通り魔みたいな感じで、単純に悪いやつっぽい印象を受ける。
実際にそう思って読んでたんだけど、どうやらステインの掲げる正義の中にも、ある種の真理が含まれているみたいなんだ。
僕のヒーローアカデミア6巻より引用 ヒーロー殺し・ステインが掲げる正義とは?
飯田くんの兄である、インゲニウムこと飯田天晴を再起不能なまでに追い込んでしまったステイン。
この場面では、むしろステインがヒーローで、飯田くんがヴィランのようにすら見受けられる。
自分の兄に対する仇討ちみたいな感じでステインを追っていた飯田くん。
しかし、兄に受けてしまった理不尽な暴行の影響もあって“誰かを助ける”という感情よりも“仇を撃つ”という方向へ、感情のベクトルが向いてしまったことを指摘されている。
これは人としては当たり前のこなのかもしれないんだけど、ステインのいう真のヒーローとしては失格らしい。
言い分としてはある程度理解できてしまうところに、深い闇を感じるよね。
【スポンサーリンク】
思えばあの時の一幕でも
そうだ、今振り返れば1巻でも不穏な表情が描かれていたんだ。
例えば以下のカットを参照してみてもらいたい。
僕のヒーローアカデミア1巻より引用 不穏な表情を漂わせるルーキーヒーローMtレディ!
この表情のMtレディを見て、最初は正直スルーしてしまってたんだよね。
でも、今ステインのくだりとかを見ていくと、なんだか少し意味がわかる気がする。
超人社会では、ヒーローが“職業”となってしまい、富や名声と紐付けられてしまったんだ。
だから、富や名声を得たいと考える人間が、本来の“人助け目的”とは違う理由でヒーローになれてしまう時代が到来してしまった。
このことに対してステインは怒っているのかもしれないね。
“ヒーロー殺し”という過激な行動を取ることによって、彼が現れた地域の犯罪率は低下しているという。
ヒーローたちが警戒態勢を強化するから、そういう流れになるんだろう。
そういった意味ではステインの行動には、一定の価値があると言っても良さそうだ。
でも、ステインの正義感には、決定的な問題点があるんだよね。
ステインに何の権利があるのか?
そう、ステインは、何の権利があると勘違いしているのか、自分で勝手に「ヒーロー認定の審査員」として動き始めてしまった。
僕のヒーローアカデミア6巻より引用 自分のヒーロー感を飯田くんに教示しようとするステイン!
ステインの言っていることは、核心をついていることが多いっちゃ多いんだけど、それでも彼の行動は「誰も頼んでないヒーロー審査員」を勝手に行っているだけ。
いくら正論を言おうとも、実際のところ「なんでお前(ステイン)がそれを審査してんだよ?」という状況であることは否めない。
死柄木弔に対して、ステインは偉そうに上から説教をしていたんだけど、実はステインもまた“幼児的万能感の抜け切らない子ども大人”と分類できるだろう。
そして、そんなステインの描く社会的不満に対して同調した人物が敵連合として集結してきてしまっている。
“幼児的万能感の抜け切らない子ども大人”というのは、もはや社会的思想や風潮によって無限に生み出されてくる“概念の化物”みたいなものだと思うんだ。
仮にステインや死柄木弔、あるいはオール・フォー・ワンを倒したとしても、この“概念の化物”をなんとかしない限り、第二・第三の敵が現れてくるのかもしれないね!
これからの戦いはまさに、まさにそういった“思想”とか“社会”との戦いとして描かれてくる気がしてならない!
【スポンサーリンク】
バトワン世界の歩き方を追記!
バトル考察で盛り上がろう!