【戦国無双】島津義弘の強さと人物像考察![OROCHI]

“鬼島津”の異名をもつ老将。、島津義弘。

今回はそんな島津義弘について考察し、理解を深めていきたい!

ゲームと歴史の両面から掘り下げつつ、彼の魅力の正体に迫ってみよう!

【スポンサーリンク】

島津義弘の強さと人物像考察!

KOEIの無双シリーズにおける島津義弘の外見は以下のような感じ。

“鬼島津”の名にふさわしく、まさにゴリラのような大男だ!

体格からしてめちゃくちゃガッシリしてるし、恵まれた肉体を用いて繰り出される攻撃は迫力がある!

%e5%b3%b6%e6%b4%a5%e7%be%a9%e5%bc%98
無双OROCHI2コンプリートガイド(上)より引用 島津義弘の外見表現はこんな感じだった!

無双では両手で持った大きな槌で豪快に攻撃するスタイル。

ドラクエで登場する“おおきづち”みたいで、なんとなく可愛い!

地面を叩いて衝撃波でダメージを与えることも出来、その強靭なパワーのほどが伺えるところだ!

九州の強豪・立花誾千代とはライバルのような関係であり、どこか互いに認め合ったような雰囲気を醸し出している。

無双シリーズではかなりどっしりとした老将として描かれていた島津義弘だけど、実際にはどのような男だったんだろうか?

後半は歴史の観点から、島津義弘について掘り下げていってみたい!

【スポンサーリンク】

実際の島津義弘!

島津義弘は兄の島津義久を補佐し、島津家の拡大に貢献した猛将。

木崎原の戦いでは伊東義祐が3,000の大軍を率いて攻めてきたのに対して300の寡兵で奇襲を仕掛けた!

10倍の大軍に奇襲を仕掛けるなんてかなりの覚悟が必要なのに、さらにこれを打ち破ってみせるなど、勇猛ぶりを発揮したことが伝説として残っている!

場合によっては兄の義久に変わって総大将として指揮を執ることも多かったようだ。

豊臣政権の下では協力的な対応を見せる。

以後、文禄の役、慶長の役の両方に参加、いずれも挑戦へと出兵して参戦している!

日本国内にとどまらず、挑戦にまで覇権を伸ばそうとした豊臣政権の野心のすごさに戦慄するところだ!

その中でも慶長の役で島津義弘は、藤堂高虎らの水軍と連携して朝鮮水軍を挟み撃ちにし、敵将・元均を討ち取ったとされている!

この時の記録では、義弘は“鬼石曼子(グイシーマンズ)”として朝鮮・明軍から恐れられていたということだ。

これが島津義弘の二つ名である“鬼島津”の語源になっているのかもしれないね!

以降も島津の猛将ぶりは圧倒的で、明・朝鮮の大軍20万人をたったの7000人で打ち破り、前代未聞の戦果を挙げたことでも名を知られているようだ。

後に関ヶ原の戦いでも活躍し、その圧倒的な存在感を歴史に刻みつけた人物だといえるだろう!

爺ちゃんなのに格好いい猛将、島津義弘!

彼を調べていると、その背景の歴史にも続々と興味が湧いてきて留まることを知らない!

【スポンサーリンク】