豊臣秀吉子飼いの武将の一角、石田三成。
今回はそんな石田三成について考察し、理解を深めていきたい!
ゲームと歴史の両面から掘り下げつつ、彼の魅力の正体に迫ってみよう!
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石田三成の強さと人物像考察!
KOEIの無双シリーズにおける石田三成の外見は以下のような感じ。
なんかファッサファッサした兜が気持ちよさそうだ!
性格的にはかなり悪い印象を持っているんだけど、これってバトワンだけかな?
無双OROCHI2コンプリートガイド(上)より引用 石田三成の外見表現はこんな感じだった!
豊臣秀吉子飼いの武将のといえば、石田三成・福島正則・加藤清正の3名だけど、この3名の輪を乱しているのは常に石田三成のような気がしてしまう!
非常いプライドが高いような雰囲気があり、周りを見下すような態度が目立つ。
反面、大谷吉継とはウマが合うらしく、互いを理解者として認めあっているような描写が目立った。
子飼い三人衆というそもそもの括りが良くなかったのかもしれないね!
ちなみに、後に島左近が彼に仕える描写も合ったんだけど、あの時の石田三成の孤独感というかひとりぼっち感はハンパではなかった。
戦国の世に振り回されるばかりか、その中で自分自身を見失ってしまった人物として描かれてしまったのかもしれない…。
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実際の石田三成!
無双シリーズにのみならず、石田三成は実際に“人付き合いが下手”だったみたいだ。
智将らしく頭はキレるんだけど、人とのやり取りが苦手なタイプ。
なんか友達の中に1人くらいはこういったタイプっているかもしれないね。
やたらめったら難しい言葉ばかり使ってきたり、難しい理論とかはわかるんだけど、最も大切な“人の心”に対する理解がないタイプ。
自分の理論が伝わらなかったら“自分の説明の仕方を工夫する”のではなく“他人が理解出来ないのが悪い”と逆ギレる。
無双シリーズでの石田三成は特にそういった印象が強い。
とはいえそれだけ“人付き合いが苦手”な性格の石田三成だけど、本能寺の変で信長が討ち取られた後は、豊臣秀吉の下で着実に台頭していく。
賤ヶ岳の戦いでは柴田勝家軍の動向を探る偵察行動を担当したり、先駈衆として一番槍の功名をあげたという実績も残っているようだ。
豊臣秀吉が天下を統一した後も、後方の武具・兵糧などの補給面において軍事機能に大きく貢献したとされ、計画立案能力・遂行能力が信頼に足るレベルに達していたことがよくわかる!
最終的には徳川家康と関ヶ原で激突し敗北、斬首されることでその生涯の幕を閉じた。
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バトワン世界の歩き方を追記!
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