【うえきの法則】十ツ星神器・魔王(まおう)考察、想いを力に変える生物神器!

十ツ星神器として登場した魔王(まおう)。

今回はこの神器についてバトワンなりに考察し、理解を深めていきたいと思う!

これはアレだね、人によって最も解釈が分かれるジャンル“思いの力”へと踏み込んだ神器だね!

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十ツ星神器・魔王(まおう)考察、想いを力に変える生物神器!

十ツ星神器・魔王(まおう)が使われた感じは以下。

この神器は想いを力に変える生物神器として有名だ!

想いの強さで神器の強さが決まり、また想いの種類によってそれぞれ形が違うのだという!

その姿は自分の強さの象徴になるということで、決まった形の無い神器こそが、この“魔王”なんだそうだ!


うえきの法則16巻より引用 使用された十ツ星神器・魔王(まおう)!

上記カットはアノンの使用した魔王だけど、まさに悪魔の象徴であるツノとかがモチーフに加えられていたりして、かなりのエグさを感じてしまう部分があるかもしれない!

上記カットをひとめみれば「いかにも強そうな魔王」であることが分かる点でも非常に圧感のデザイン!

うえきの法則の世界観は、わかりやすい入り口から独自の世界観へ巻き込んでいくのが本当に上手いよね!

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賛否両論、思いの力!

ちなみに上記でも触れたけど“思いの力が技になる”という考え方については、シンプルだけど違和感もある。

これは人間の根源的欲求である「全てを思い通りにしたい」という夢が転化したものだと思うんだ。

で、バトワンは“主人公のご都合主義で全てが回る世界”というのが結構苦手なんだよね。

それは様々な脇役の立場に身を置いて考えた時、いくつかの理由で主人公の魅力が損なわれてしまうから。

では、例えば“想いの力を技に変える事が出来る主人公”に対し、バトワンはどんな感じで解釈しているのか。

大まかに以下の2点になると思う!

  • 主人公が常に正義だとは限らない=主人公がそんな能力を持つのは危険
  • 人の想いの強さに優劣を決める行為が、道徳的に間違ってる気がする

想いの強さが“自分の行動”に直結するのは事実。

また“自分の行動”が、他人や社会といった“自分以外”へ影響を与えるのも事実だ。

しかし“想いを特殊能力に変える”という概念は、最も大切な“プロセスの部分”をすっ飛ばしている気がするんだよね!

感情を特殊能力に変化させる…というのは、異能力系バトルにおいて最もわかりやすい概念ではあると思うんだけど、ゆえにボロが出てしまう危険な橋。

うえきの法則は“ギャグバトルの世界”を中心にしているからこの要素をうまく使いなせていたけど、もしもっとシリアス寄りだったら危なかったかもしれないね!わかんないけど!!

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