「バトワンが今のワンピースをどう見ているか」というわりと個人的なテーマ。
自分ではビミョーかと思っていたこの内容なんだけど、昨日からちょっとポジティブな反響がけっこうあるので、今回は継続してこれに触れていきたいと思うよ!
本編の考察とは違って、考察をするための心構えというかバックボーンの部分の話!
◯【ワンピース】今後の考察&みんなの反応を見るときに意識しなければならないこと!
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ファンと信者の違いについてのバトワン的な見解&決定的な相違点!
バトワンは「ファンと信者は明確に違う」と考えている。
そしてバトワンはワンピースファンであり、ワンピース信者ではない。
よって「尾田先生は神!」なんて言ったことは一度たりともないし、このことがバトワンに対する信頼性を保証してくれているんだと思う。
もちろん世の中には、信者とファンの違いをはっきりと認識しないまま信者と名乗っている人も少なくないだろうから、その認識の違いをはっきりさせておきたい感じかな!
バトワンが考える信者とは以下、SMILE状態になってしまった人のことを指す。
ワンピース942話より引用 スマイルによって不自然な笑顔になってしまったのは確定!
ワンピース本編で登場したSMILE。
これは当人の感情がどうあれ、強制的に人を笑顔に固定する副効果を与える危険な兵器だ。
SMILEの恐ろしい点は、やはり「自分の本心とは違う行動をとってしまう」という部分だろう。
怒ったときに怒って振る舞えない。悲しいときに悲しく振る舞えない。
この現象は「信者」にも該当するものだと思う。
尾田先生を神だと崇めてしまったり、ワンピースなどの特定の作品の信者になってしまうことは、その作品が仮におかしな方向へ走り始めたときも、思考停止して崇め奉り続けてしまう危険性があると思う。
(もちろん自分でそれを自覚した上で、便宜上“信者”というフレーズを使う場合は、信者ではなくファンとして扱えるだろう)
もちろんこれは人により揺らぎがあるとは思うけど、一度信じた神を見放すことは簡単には出来ないものだ。
これは「今のワンピースが面白くない」と言っているのではなく「あなたは今の状況を、無理に面白がってみせていませんか?」という問いに繋がっている。
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ファンであることは、信者であることを上回る礼儀だと思う
作品には作品による固有の良さがある。
ワンピースに関しては長編だから、エピソードごとに作風が違っても当然だ。
しかし今回のワノ国編はどうだろうか?
以下、激動だったWCI編のワンシーンを確認してほしい。
ワノ国編からワンピースを読み始めた読者はともかく、WCI編で(しかもそこで考察が鍛え抜かれた)読者たちはワノ国編に突入した今、本編をどう見ているだろうか?
以下のワンシーンと同等レベルの品質を保てていると本心から思えているのか、その心に問いかけてみたい。
ワンピース845話より引用 結婚しようと告げるサンジ。
◯【ワンピース】「結婚しよう」雷雲鳴り響くプロポーズと刹那のロマンス。
漫画の楽しみ方は考察だけではない。その場その場のノリを楽しむことも大切だ。
しかしながら、考察力・論理的思考力が高い読者であればあるほど、今回のワノ国編第一幕・第二幕は退屈に感じただろうし「信者ではなくファンであるべき」という結論に到達したに違いない。
そう、自分が本心から面白いと感じることを面白いと伝えることが、親愛なる尾田先生への礼儀だと思うんだ。
(これは確か過去の担当編集者の裏話トーク的なので語られていたはずの内容でもある。)
ここの価値観はひとそれぞれあるから、違う価値観を否定するつもりはないけれども、バトワンは信者であるよりはファンであるべきだと考えてる感じかな!
そしてバトワンを読んでくれる読者のみんなもきっと、バトワンが「ワンピースならなんでも面白いって褒め称える人」だったとしたら魅力を感じてくれないと思うしね。
自分の船の舵取りは自分で行いながら、尾田先生の描くワンピースという巨大な船を(外側から)観察していくこと。
特に考察マンに関しては、同じ船(この場合は尾田先生の操舵するワンピースという名の船)に乗ってしまっては自分の船の全体像が見えなくなってしまう。
さて、まとめよう。
「ワンピースという作品の品質が傾くことはない!」と信じて同じ船に乗る人は、それこそ信者と呼べると思う。
対して「もしその船が傾くようなことがあるのなら、外部からの観察で真っ先に発見してみせる!」という視点でワンピースを観察していくのが考察マンのひとつの役割だと思ってる感じ。
現代で信者とは、熱烈ファンの上位互換のように使われるケースも少なくないわけだけれども、厳密にはちょっと意味が違うことを理解しておきたいところだ!
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バトワン世界の歩き方を追記!
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