今回900話で独特のミュージカルがあのタイミングで歌われたことについて。
何が面白いかって、このミュージカルには「死の概念」がむせかえるほど濃厚にまとわりついていると感じる部分だ!
バッドエンドミュージカル…ということで「サニー号の水没っぽい描写」と絡めて考える方法もあると思うんだけど、たぶんそれはちょっと違うと思っていて…。
以下、バトワンの考える“バッドエンド”の意味について記していきたい!
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不本意な死とミュージカル、まとわりつく死の概念について!
バッドエンドについて触れていく前に、まずはミュージカルそのもののテーマについて考えてみないといけないと思う。
この歌の共通点を言語化するならば「死という概念を色々な角度から表現してる」って感じかも。
「死」ってひとことにいっても、本当に色々な死があるよね?
たとえば死骸演舞場のホーミーズたちは、誰かの死を犠牲に生を得たことを喜んでいるように見えるよね。
マムを導く羊の家の子供たちは幸せな天使のようにも見えるけど、天使もまたある側面では死の象徴だ。
問題は「それがどのような死であるか」ということ…なのかもしれない。
ワンピース900話より引用 点にも登ろうかというマムと、それを導く羊の家の子供たち。
このミュージカルを紐解くのはとても難しくて、アンサーに近付けているかは極めて怪しいと思う。
なんだけど色々考えてみて、バトワンとしては今回の900話で歌われた歌を「これまでにマムの周りを通り過ぎていった数々の死」を歌った演舞(ミュージカル)だと置き換えてみたい感じかな!
走馬灯のように優しい記憶で包み込む穏やかな死もあれば、明日を生きたかった誰かを蹴落として、屍の上に勝ち得た生もある。
様々な死のカタチがあるのに対し、バッドエンド・ミュージカルが示す「生と死」とは何なんだろう?
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不本意で無情な死について!
これらの点を踏まえてバッドエンド・ミュージカルを考えていくことで、バトワンなりに辿り着いた場所がある。
なんとなく今回の900話のテーマに最も寄り添っているのは「不本意な死」というキーワードのように思えるんだよね。
ちなみにここで述べる「不本意な死」とは、以下のカットの延長線上に存在している死…だといえば伝わりやすい気がするかも。
ワンピース866より引用 善意と不本意が織り交ぜられた状況の一例。バッドエンドを示唆するシーン!
善意(あるいは無知)の下にもたらされる不必要で理不尽な死。
今回のミュージカルは、かつて羊の家の子供たちに対してそのような死(バッドエンド)をもたらしてしまった破壊者・リンリンによる、幸せな記憶の回顧(かいこ)だった。
うーん、どうだろうね?
至福の境地に至るマムの目に映った天使のような子供たちは、マムを祝福してくれるはおろか、むしろマムに食われる恐怖に身を凍らせながら無念のうちに死んでいったと考えるのが妥当。
言語化するのがとても難しくて今も苦労しているんだけど、今回のバッドエンドミュージカルについての解釈はこれらのことを示している気がする!
一見倒錯しているかのように見えるこのミュージカル。
しかしこの2つの要素を並べてみると、これらの要素が一本の論理的なシナリオに基づいているようにも見えてくるから面白いよね!
ビッグマムという名のクレイジーな指揮者の奏でるオーケストラに巻き込まれ、不本意なダンスを踊らされる(た)共演者たちの運命…。
少し抽象的な表現になってしまったかもしれないけど、900話の歌詞からはそのような要素を感じてしまったかも!
「ご褒美に胃袋に入れてあげなくちゃ♪」とまではいかなくとも、このミュージカルからはそのようなマムの根本的な“歪み”を映しているように感じてしまってならない!!
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