どこからどこまでを“人間”と定義すれば良いのだろう?
これに関してはまさに“雲をも掴む水掛け論”になってしまう側面が強いから、これまでは触れないできたんだ。
でも、ここに関して1つの質問を頂いたから、この機会にある側面からの解答を提示しておこうと思う!
とはいえこれはあくまでバトワンの主観に過ぎないから、意見がぶつかるなら適当にスルーしてもらえれば…って感じの内容だよ!
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人間とヒトの境界線、哲学的問いと表現上の違いについて!
今回のWCI編においては、本当に“人間という概念”がアヤフヤになってしまう出来事が多かったよね。
例えばジェルマの“クローン兵”とかは、その最たるもののひとつだと思う!
ワンピース839話より引用 ジェルマのクローン兵は人なのか、それともモノなのか?
彼らは通常の人間と比較して“ありえない速度”で成長し、兵士としての役割を果たす。
しかし彼らは人間としての知能や感情を持っているし、喜怒哀楽もあるように見える感じだ。
少なくともそのように振る舞っているようには感じられる!
ヒトに生み出されたものの支配者の思うがままにコントロールされる彼らは、支配者であるジェルマ側から見れば“人間ではなく道具”なんだろう。
では、クローンとして生み出された彼らにとって、彼ら自身は“人間”なんだろうか?
この辺りに関してはまだ原作で詳しく語れていないからアレだけど、人間・非人間の境界線には“相対的・主観的な材料”が、影響を及ぼすケースがある…というひとつの事例となるんだろうね!
誤解を避けるために付け加えておくと、バトワンは彼らに対して“可哀想”だと感じる気持ちに関しては、強く持っていると打ち明けておきたい。
でも、何が可哀想なのかはまだうまく説明できないし、そう感じることが正しいことかどうかも判断できないこともまた、併せて告白しておこうと思う!
じゃあ、次に“種族の問題”へと目を向けてみよう!
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人間のように振る舞えば、それは人間と呼べるのか?
さて、今度は巨人族・魚人族・小人族・蛇首族・足長族・手長族といった“種族”について考えていこう。
彼らは現在のところ、人間と同じように考え、感じ、振舞うことが出来る種族だ。
今回頂いたメッセージには「巨人族≠人間ではない」という表現は(差別を想起させるため)適切ではないのでは?という旨の質問が含まれていたんだけど…。
それでは逆に、彼ら巨人族は“人間”と呼ぶことが出来る存在なのだろうか?
ワンピース41巻より引用 巨人族の一人、サウロ。
この問いの答えは、“人と同じように考え、感じ、振舞うことが出来れば、それは人間と呼べるのか?”という問いへと繋がっているものだよね!
“人と同じように考え、感じ、振舞うことが出来るものは人間である”と定義するならば、鉄板やネジや電源ケーブルやICチップ…といった無機物で作られたロボット(アンドロイド)ですら、人間となりうる可能性が生じてきてしまうことになる!
また、彼らが「世界にとってどのような存在でありたいのか?」というのも併せて掘り下げていくと興味深いポイント。
ワンピース世界の生物学的&便宜的な共通認識としては、彼らは“巨人族”として明確に“人間族”と区分けされているし、彼らもそのことを誇りにしているみたいだ。
彼らは“人みたいに考え、感じ、振舞うことが出来る”ものの、人間と同列に数えられることを望んでいるわけではなく、むしろ“エルバフの巨人族”としてのアイデンティティのほうが強い感じ。
ちなみに他の種族はわかんないけど、この“種族としての誇り”は、魚人族にも見られる傾向だよね!
巨人族を巨人族として見なさず、魚人族を魚人族として見なさないことは、彼らの誇りを傷つけることになるし、むしろ冒涜になってしまう印象すら受けてしまう!
ブログ内ではあくまで“バトワンの視点としての文章表現”を貫いていくけど、このあたりは突き詰めていくとキリがない袋小路のようだね!
今回の質問に関してはこれでクローズしようと思うけど、今回のテーマは掘り下げてみてとても大きな勉強になった!
今後も機会があれば、似たような内容について軽く触れながら考察を入れていければと思う!!
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