【ワンピース】侍魂(さむらいだましい)に対する思考整理!

昨日の記事では「侍の定義」について軽く触れた。

ということで、今回は侍魂についてクローズアップして考えていきたい!

ワンピース世界における侍たちと照らし合わせることで、きっと見えてくるものがあるはずだ!

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侍魂(さむらいだましい)に対する思考整理!

侍魂について調べてみると「高潔さ、誇り高さ、剛健な意思、清廉潔白な心、自己犠牲的精神」といった要素を併せ持ったものだとされることが多い。

どれもが曖昧といえば曖昧なので、その解釈には個々によって揺らぎがあると思うけど、おおよそ誰もが想像する侍魂はこのようなものだろう。

これらの要素を確認すると、ワンピース世界の侍の全てがこの精神を持っているわけではないことがわかるね!

ちなみに以下、おでん様は立派な侍魂を持っていることが判明している!


ワンピース964話より引用 これこそが侍魂だと思う!

自分は本当は白ひげの船に乗りたかったのに、見ず知らずのトキ様のために数日の苦労を投げ打った。

これはまさに自己犠牲精神であり、清廉潔白な心の有様であるといえるだろう!

海坊主のようにボコボコに膨れ上がってギャグのように見えるシーンでもあったけど、そこには確かな侍の心があったと思う。

また「煮えてなんぼのおでんに候!」に関しても同様で、煮られてなお屈しない心の強さもまた、剛健な意思として侍魂を表現しているといえるだろう!

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侍魂とは「信仰」のようなもの

これらの点を踏まえて、バトワンは「侍魂とは信仰のようなもの」だと感じた。

誰もが持ち得るわけじゃないけれども、持っている者は確かに存在する。

それを手本として、そのようにあろうとせよ。

おでん様が「人の形をした侍魂」だとするならば、赤鞘たちはまさに、それを信奉・信仰し、そうあろうとしている…といえるだろう!

彼らがそんな信仰の歩みの途中にあるとすれば、彼らの精神の皆が皆、侍魂に到達できてないのも頷けるというものだ!


ワンピース959話より引用 誰もが侍魂を持っているわけではない!

例えば上記のカットとかはわかりやすい例。

このシーンで赤鞘たちはすでに亡くなったおでん様に殉じるような行動(自殺行為の出港)を目指しており、本当に大切にするべきモモの助の未来を放棄している。

これはつまり「おでん様のために死ぬ自分でありたい」という思考であり、突き詰めると「そういう自分でありたいというエゴ」から来ている行動だ。

これはおでん様の自己犠牲とは全く違う思考プロセスで、彼らの場合は「誰かのために死ぬことが、自分を侍たらしめる」という表面的な考え方。

よって、この時の精神構造は自己犠牲を装ってはいるものの「本質的にはあくまで自分のための行動」なんだよね。

本当に利他的であり自己犠牲ができるのであれば「おでん様のために死にたい」と感じる自分の心を殺し、目の前のモモの助に忠義を尽くす。

これこそが真の侍魂の在り方だ。

しかし赤鞘ももともとスタート地点がアレだし、まだまだ歩みの途中にある人材たち。(錦えもんたちに至っては時間をジャンプしてきてしまってるぶん、周りの赤鞘より経験値が乏しいわけだしね)

これらのことも考慮にしつつ以降の展開を追っていくと、赤鞘の行動にもある程度納得がいくんじゃないかな!

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