ミホークやハンコックの色替えバージョンであり、子供であり、なんか可愛くていい感じのセラフィムたち。
そんな魅力的なデザインでありながら、実力としてはかなり高いものを持っており、人気が出ること間違いなしだね!
しかしながら、よくよく考えてみると切ない部分も多々あるんだよね。というのも…。
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少年兵セラフィムの悲劇、生み出されたデザイナーベビーについて!
かなり魅力的なセラフィムたち。
しかしながら、ふと立ち止まって考えてみると、この子供たちもまた“人体実験”に近いニュアンスで利用されてる存在だといえると思う。
ベガパンクはまだ善悪の判断がしにくい存在だけど、これナミ的には怒っていい事案なんじゃないのかな?
この子供たちは以下のように威権順位までプログラムされてるわけだしね?
ワンピース1071話より引用 セラフィムたちは以下のように威権順位までプログラムされてる
セラフィムたちが“自我”を持っていなければ、このようなプログラムは必要ない。
つまり、その“自我”とか“自由意志”を無理やり抑え込んで大人の好き勝手に使えるようにするためのプログラムがこれなんだよね。
で、その使用用途は“戦闘”であるんだ。
セラフィムは戦うために生み出されたとはいえ自我もあり、まだ子供だ。
それをこのように扱うことは倫理的に許されるのかどうかの問いが残るよね。
科学は常に合理的で実用的ではあるけれども、やはりそれを用いるのには倫理や哲学の力がいる。
でなければ、このようなことが平気で起こってしまうんだ。
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この子たちに親はいるのだろうか…?
で、次に考えていきたいのは彼らの“親”について。
セラフィムたちはその存在からして“兄弟”のようなポジションのような気もするけど、その存在はヴィンスモーク一家以上に科学的にイジられた存在のように見える。
ヴィンスモーク兄弟はなんだかんだいっても父親も母親もいたもんね。
でも、セラフィムはどうなんだろうね。父親や母親はいるんだろうか?ちょっと想像がつかない。
もし親がいないのならば、その面ではサンジたちとどちらが幸せなんだろうね?
ワンピース870話より引用 サンジはいちおう親はいるんだよね。で、ジャッジも根本的には親バカの親父。
ここ振り返れば、サンジはセラフィムと違っていちおう親はいる(良い悪いはともあれ親子としての関係がある)んだよね。
で、ジャッジもサンジに対しては最低の最低だったけど、根本的な性格は親バカの親父。
対してセラフィムは今のところ“無”のように思える。
いや、ベガパンクを父と呼ぶことはできるかもしれないけど、だとしたら“威権プログラム”を実の父にぶちこまれてるってことになるからね。それもそれで胸が痛いところ。
これらのことを総合すると、セラフィムたちがその存在そのものについても、境遇についても“利用される側”として運命づけられて生まれてきてしまったことがわかってしまうね…。
いずれかの形でこの子供たちが戦いから開放され、普通の子供達と同じように無邪気に遊べる日がやってくればいいんだけど…!
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