今回はワンピースにおける「悪」という要素について考えていこうと思う。
これはTwitterで気付かさせてもらった内容なんだけど、ここ最近のワンピースを見ていると初期と比べて悪についての考え方が変わってきているように見えるよね!
ここ、掘り下げてみると面白いかもしれない!
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悪の変動、個から概念への移行について!
最初に例として出してみたいのは以下のカット。
ワンピースには「いろんなタイプの悪」があるわけだけど、初期の段階からそのバリエーションは多様。
ただ、その悪はある程度分類できるものだったと思う。
主要なところは以下のような「正義を盾にした悪」と、もうひとつはアーロンのような「破壊を求める悪」といった感じ。
言い換えれば、悪っぽい悪&善っぽい悪の2パターンだね!
ビブルカードスターターセット1より引用 モーガンの様子はこんな感じだった!わかりやすい悪!
振り返れば、ワンピースはルフィという海賊が、この2パターンの悪(理不尽)と交互に戦っていくことで、シナリオが進行してきたように思う。
どちらも性質は違うんだけれども、どちらもわかりやすい悪らしい悪だ。
ワポルにしてもクロコダイルにしてもエネルにしても、ワンピースの物語前半はこれらの悪を蹴散らすことがメインの物語となっていたと思う。
しかし確かに、後半では少し変わってきている感じがするよね!
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後半では悪といううものが「とらえようのないもの」になってきた?
しかしシナリオの後半では、悪というものが“捉えようのないもの”になってきた印象。
以下のカットとかはまさにそうで、オロチに関しては冷静に見て被害者なんだ。
ワノ国編における本当の悪は大衆であり“人々の集合意識”なんだよね。
それらに踏みにじられたオロチが復讐者になっただけであり、逆に人々が黒炭の者を迫害しなければオロチのような復讐者はうまれなかッた。
つまり、ワノ国編における悪というのは、あくまで概念であるということだ!
ワンピース971話より引用 オロチはあくまで被害者である…!
復讐者であるオロチはワノ国編においては確実にヒール役であり、倒さなくてはならない存在だ。
しかしここで理不尽なのは、彼を生み出した大衆たちが手のひらを返し「おでんに候!」と声高に叫び、身勝手に善のサイドに立っているということ。
おでん様は一貫して善だ、それはいい。
オロチは迫害されて悪となった、悪事は咎められる必要があるが彼もまた被害者だ。
では大衆は?
迫害によってオロチやカン十郎のような復讐者を生み、一度はおでん様の処刑を娯楽のように望んだ人々。
彼らを「最終的に善のサイドに立っているから」という理由で許してしまって良いものなのか。
今回のワノ国編は、そういった部分の疑問を投げかけているようにも思えてきたかも知れない…!
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