【ワンピース】悲しむ権利を奪われる恐ろしさについて考える!

よし、得意分野きた!ということで、えびす町の描写で気付いた点について触れていこう!

悲しむ権利を奪われる恐ろしさ、考えたこともなかったゆえに考えてみると面白い!

そしてこの精神的展開はバトワンのもっとも得意とする部分だ!!

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悲しむ権利を奪われる恐ろしさについて考える!

人間には「喜怒哀楽」の感情がある。

その中でも幸せな感情は「喜」「楽」なわけだけど、その感情が損なわれてしまったらどうなってしまうのだろうか?

一般的には「楽しい気持ちがずっと続けば良いのに!」と考えるのが普通であり、えびす町の人々はそれを実現しているかのように見える。

しかし実際それを目の当たりにしてしまうと、かなり不自然な感覚を受けてしまうのはバトワンだけではないはずだ!


ワンピース929話より引用 ヤスもおトコちゃんも悲しみを失っている?

前回の考察で触れたとおり、彼らが「悲しむ権利を奪われた人々」だったとするとどうだろう?

彼らは“空腹”とか“飢餓状態”といった現代の日本人からしたら体感しにくい感情を笑顔で克服している感じだから理解し難いけど、これは“別の内容”に例えてみるとよく理解できるんじゃないだろうか!

以下、その「例え」の部分に触れていく!

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どこに例えるのが最も適切か?

ジェルマのイチジ・ニジ・ヨンジから一部の感情が欠落していること。

あるいはコアラが泣きたい気持ちを我慢して奴隷に徹していたこと。

これらの件も脳裏をよぎったんだけど、バトワンとして最も適切だと考えたのは以下のカットだった。

愛する人の死。

えびす町の人々は「笑うことが出来るのは人間だけだから」という理由で笑っていたようだけど、その中で“飢餓で死んでいった人々”もいたはずだよね?

それでも彼らは笑っていられたのだろうか?

59ルフィ
ワンピース59巻より引用 エースを救えなかったルフィの様子!

バトワンの感覚では愛する人・大切な人が死んだ時に、えびす町の人々のように笑うことが出来る人は相当に少ないと思う。

しかし、彼らが「感情」ではなく「理由」に従って笑っているのであれば、こういう場面でもきっと笑ってしまうのだろう。

そしてそれはどう考えても人間らしくはなく、何か「特別な力」が働いていると考えるのが最も自然。

さて、これからどうなってくるだろうね?

前回の考察で触れたように、彼らが「笑み笑みの実で悲しみを奪われた人達」とかであれば、それは人に対する仕打ちとして非常に残酷。

愛する人や大切な人が死んでしまった時「ちゃんと悲しめなかった」という記憶は(本来ならば)当人を強く苦しめるはずだ!

そしてそれに輪をかけて怖い部分は、悲しむ権利を奪われてしまうと「ちゃんと悲しめなかったことを思い悩むこと」すら出来ない状態になっているということ!

悲しみや後悔、葛藤や悩みがあるからこそ人は人でいられる。その証明。

今回のバトワンの予想が正しければ、えびす町の一件ではそういう心理的な部分が描かれてくる予感がするかも!!

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