土地がいくら変わろうとも人は人。
ということで、今回の963話でははるか昔に触れた「悪魔的市民」の持つ一面が描かれることになったと思う。
以下、バトワンが気づいた点について文章化しておきたい!
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手の平を返す人々、悪魔的市民の面影がここにも!
今回のテーマになるのは以下のカット。
この場面は「赤鞘九人男たちが更正し、勉学と鍛錬に勤しみ、身なりを整えたことで、人々から一瞬で高い評価を得た」というシーンだ。
このシーンの表面上だけを見れば「おぉ、赤鞘いいじゃん!」となるかもしれない。
でも、もう一段深く掘り下げることが出来る様になってしまっている人には、もう見えてしまってるよねきっと。
この裏側に描かれている、人々の恐ろしさが…!
ワンピース963話より引用 表面的には赤鞘すごい!ってなる所だけど?
チンピラ錦えもん、壺算の詐欺師傅ジロー、髪の追い剥ぎカン十郎、頭山盗賊団の元大将アシュラ童子。
特にこの4名に関しては、泣かされた人々が大勢いたに違いない。
それぞれを庇うために「きっと悪人を対象に悪事をしてたんだよ!」という意見が想定できるけど、これには「相手が悪人だったら、何をしても許されるのか?」という反論が成立する。
にもかかわらず、人々はそれらのことをすっかり忘れ、両手をあげて赤鞘たちを称賛した。
きっと彼らは赤鞘たちが失態を犯したら再び簡単に手のひらを返し、彼らに石を投げつけるのだろう…!
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悪魔的市民の様子!
人間は多面的な生き物。
優しく穏やかで愛にあふれる側面もあれば、残酷で暴力的な一面もある。
以下はまさに、その暴力的な一面が前に出た場面だといえるだろう。
ドフラミンゴ一家をはりつけにする市民たちの熱狂。
これはノーランドが処刑されたときの「うそつき!うそつき!」に通じる狂気だ。
そして以下の彼らは日頃は非常に温厚で、善良なる市民でもある(少なくとも大半が)ことを忘れてはならない!
ワンピース76巻より引用 市民による復讐の対象になるドフラミンゴ一家
愛にあふれる優しい一面と、暴力に陶酔する狂気を持つ一面。
シーンによってこの対極がくるりと入れ替わってしまうのが人間という生き物みたいだ。
そして今回の963話で赤鞘を褒め称えた人々もまた同様に、すでに意見をひっくり返している。
土地が変われど人は変わらず。それは善いものでも悪いものでもなく、きっと“そういうもの”なんだろう。
ワノ国編では彼ら民衆もちょっとしたアクションを起こしてくる可能性があると思うし、この点も忘れないようにしつつ以降のエピソードに絡めて考えていきたいところだよね!
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バトワン世界の歩き方を追記!
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