焦凍に対して何かと因縁をつける夜嵐イナサ。
彼については色々と思うところがあるんだけど、今回の111話で感じ取ったイナサの人物像はなかなか疑問に溢れるものだった!
そしてそれはヒーロー社会が生み出した弊害を象徴していることは間違いないと思うんだ!
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逆恨みイナサはヒーロー社会が生み出した弊害を象徴している?
エンデヴァーは今んとこ“クソ親父”だ。
いや、僕のヒーローアカデミア“すまっしゅ”とかを読んでるとめっちゃ可愛いんだけどね。
少なくとも原作のエンデヴァーはそういった印象で描かれていると思う。
でもさ、エンデヴァーだって“ひとりの人間”なんだよね、うん。
僕のヒーローアカデミア111話より引用 エンデヴァーに憧れる夜嵐少年
“ヒーローは熱さ”だと考える夜嵐の哲学は、少年時代から変わらないみたいだ。
燃えるエンデヴァーの背中にソレを見た夜嵐少年。
しかし今回の111話では、夜嵐少年の“憧れ”は、無残にもエンデヴァー本人の手によって破り捨てられることになってしまう!
僕のヒーローアカデミア111話より引用 邪魔をするなと一瞥するエンデヴァー
彼に憧れていた。
彼のようになりたかったからエンデヴァーの元に歩み寄り、サインを貰おうとしたんだ。
でも、夜嵐に対するエンデヴァーの対応は冷酷なものだった。
でもさ、これって一概にエンデヴァーを責められないよね?
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エンデヴァーも“ヒーローらしいヒーロー”だと思うよ?
オールマイトを越えてNo1ヒーローになることしか見えていなかったとしても、市民を救おうとする気持ちは同じ。
だからエンデヴァーもヒーローをやってるわけだよね。
でも、エンデヴァーの人格は“夜嵐イナサのイメージの中のヒーロー像”とかけ離れていたんだ。
彼の目から“ただただ冷たい怒りしか伝わってこなかった”とか言ってるけど、それは結局イナサが心の中で勝手に思っていること。
“心の中のエンデヴァー像と、実際のエンデヴァー像は違うかもしれない”…という前提が抜けているんだ、今のところは。
そして、イナサは以下のような発言までしている!
僕のヒーローアカデミア111話より引用 轟親子が認められない?ん?
「あんたら親子のヒーローだけは認められない」とか言ってしまっている!
では、焦凍にしてもエンデヴァーにしても“誰かに認められるためにヒーローをしている”んだろうか?
多分この2人に関してはNoだよね。
焦凍は焦凍でオールマイトに憧れているような描写があったし、エンデヴァーはオールマイトを越えることを目指しているような様子だった。
つまり、彼らは誰かに認められたいからヒーローをやっているわけではない…ってことになるんだ。
よってイナサのこの発言は、轟親子に対して“自分の理想”を押し付けているって気がしてならないんだよね。
こうあってほしい、こうあってくれないと嫌だ。
こうあってほしいと思う形でなかったから、認めない。
このような身勝手な心理が背後に蠢いているような気がしてならない!
さらに言うなら、別にイナサが認めなくてもちゃんとヴィランに対応して人々を救えば、それこそがヒーローの仕事。
つまりそもそもイナサに“認める・認めないを決める権利はない”ってことになるんじゃないだろうか?
確かに今のヒーロー社会は“ヒーロー=偶像(シンボル)”であり、人々から憧れ・ヴィランから恐れをかきあつめることで成り立ってきた側面があると思う。
でも、だからこそイナサのような考え方の人物が生まれたともいえるんじゃないだろうか?
ある意味これは、ヒーロー社会が生み出した、精神的な弊害といえるのかもしれない!
イナサがそうってわけじゃないけど、ピンチの時に助けてくれるヒーローの存在は、幼児的万能感の抜け切らない“子ども大人”を育ててしまう側面があるのかもしれないね!
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