小説でもなんでもそうだとは思うんだけど、全てのことは受け手次第だと思うんだ。
いかにこだわり抜いて芸術的なものを作ったとしても、それが受け入れられなかったら単なる奇人。
ピカソとかも死後にその才能を認められたわけだけど、漫画にもそういったアレがあるんじゃないかな!
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バトル漫画の裏の裏、考察だから踏み込める場所!
“全てのことは受けて次第”ってことはさ、やっぱり漫画家さんにも色々と“制約”があると思うんだ。
出版社さんに漫画の原稿を収めて、それが雑誌や単行本になったりしてみんなに届いてゆく。
出版社さんのスタイルにもよると思うんだけど、この時大きく2種類に分けていると思うんだよね。
- 売れる漫画
- 芸術的な漫画
この2種類の割合をどう割り振っているかは出版社によるとは思うんだけど、売れる漫画を掲載しないと雑誌を維持していけない。
かといって芸術的な漫画がないと薄っぺらくなってしまう。
だからこそ、出版社さんは漫画家さんに対して“商品としての価値と芸術性のバランス”を求めているんじゃないかな!
ってことはだよ?
漫画家さんのうち誰もが“好きなことを好きなように描けているわけじゃない”ってことだよね。
外野から見てワーワー批評するのは簡単だけど、漫画家さんには漫画家さんの苦労があるに違いない!
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ポピュラー感と芸術性のバランス
例えばワンピースとかヒロアカは、芸術性もポピュラー感もかなり高い漫画だよね。
進撃の巨人とかハンターハンター、ワールドトリガーとかは芸術性のほうに重きがおかれていて、玄人向けになってると思う。
反面、アンパンマンとかは“ポピュラー感の権化”みたいなもんだよね!
で、出版社さんもコンテンツを存続していきたいわけだから“芸術性が高すぎる=受け手に高い読解力を求め過ぎる”ものに関しては制限を入れていると思うんだ。
…これはつまり?
描きたいことと描けることは違う?
バトワンの結論としては、当然ながら“作家さんが描きたいことと、描けることは違う”ってことなんだ。
尾田栄一郎先生とかは超絶巧みで、深く読解していけば何を表現しようとしているかうっすらと感付けるしかけにしてくれてる。
でも、その“うっすら”の部分を全面に押し出したいと思うこともあると思うんだ。
なぜならそこが“伝えたいこと”だと思うから。
しかし、当然ながらそのあたりには出版社さんとかの方針の兼ね合いもあると思うし、ワンピースほど有名になれば小さい子どもたちだって読む。
このあたりを考慮すると、僕達に伝えたいメッセージは場合によっては“ダイレクトに伝えられない”ってことが多いんじゃないだろうか?
これが世代によってワンピースの解釈が変わってくる根拠なんじゃないかな!
小さい子供にとっては“夢と希望の大切さ、仲間や友達の大切さ”などを伝えるメッセージ。
大人に対しては“戦争とか差別などの社会問題”とかを示唆するメッセージ。
これから夢を持つ人にはその道標となり、夢を失くしてしまった人には灯火になるような漫画、ワンピース。
伝えたいことと伝えられることのバランスが難しいながらも、本当にピンポイントでよく考えて創造されている気がしてならないぞ!
また“作者さんにはこういった都合があるからこそ、考察であればそういう深い部分に触れられる”っていう面白い側面もあると思う。
作者さんが世代を超えて伝えようとしている裏のメッセージは何か?
このあたりに対して思いを巡らすことが出来るのは、考察のひとつの醍醐味なんじゃないかな!
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バトワン世界の歩き方を追記!
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