漫画に対する面白さとは、作者に対する信頼度。
ワニ先生は一貫して読者に対して誠実に作品を描いてくれているからこそ、作品にリアリティがあるね〜!
こういう作家さんはめちゃくちゃ貴重だと思うので、今の姿勢も含めてみんなで応援していきたいよね!
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ワニ先生のゾッとする実力、信頼の勝ち取り方について!
ワニ先生の強いところは、読者が「死なないでほしい」と思おうが、自分が「殺したくない」と思うが、作中のキャラクターが死ぬべき場面にきたらちゃんとシナリオに殉じさせるところ。
ここを強引に理由付けして生き延びさせたり、あるいは生き返らせたりすることは読者の信頼を大きく残ってしまうことに繋がる。
例外としてはただひとつ、その作品が「常日頃からギャグ漫画としての信頼も獲得している!」というくらいだろうね。(現在のジャンプではブラッククローバーがこれにあたると思う)
しかし鬼滅の刃はストーリーモノの要素に主体が置かれた作品、であればリアリティを大切にするのは一番大事なことだね!
鬼滅の刃182話より引用 このシーンも「ワニ先生ならやりかねない!」と誰もが思った!
上記のシーンとかは特にそうで、誰もが「ワニ先生ならやりかねない!」と思ったはずだ。
この感覚こそが「作者に寄せる信頼」の正体だね!
もしブラッククローバーで同じことをやっても「どうせ生き返るでしょ、アハハ!」って感じになって、こんなハラハラ感は得られないと思う。(それが悪いということではない)
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犠牲を払うことで得られるモノの大きさ!
人間は失ったものについて目を向けがちなところがある生き物。
たとえば玄弥、時透くん、珠世さん、しのぶさん…という、非常に魅力的なキャラクター達が命を落としていったのは悔やまれるところだ。(同時に敵サイドでは黒死牟、童磨、猗窩座も命を落としているが)
しかしかといって、無理に上記の4人を生かしてしまっていたら、鬼滅の刃に「どうせ誰も死なないんでしょw」感が出てしまっていたことだろう。
そればかりか、今頃大人数で鬼舞辻を袋叩きにしようとする、謎の構図が描かれていたかもしれない…。
そう考えると、あの4人の退場は(悲しいけれど)適切だったと思うし、それによって得られたものも大きいんだ。
そのひとつが以下のカットの安心感、とかね!
鬼滅の刃182話より引用 犠牲を払うことで得られるモノの大きさ!
4人の名キャラが失われたことで、甘露寺&小芭内も死んだのかとハラハラさせられた。
しかし次の瞬間には上記、愈史郎の活躍によって生きていたことが判明したんだ。
もし4人の命が失われる流れがなかったとしたら、この一連の「ハラハラ→安心」の流れはヤラセっぽく映ったかもしれないね!
キャラクターが命を落とすことによって得ることが出来た「信頼」という宝物。
なんでもかんでも殺せば良いってものではないと思うけど、バトワンとしては失ったものよりも得られたもののほうが大きいように感じたかも!!
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バトワン世界の歩き方を追記!
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