ついに炭治郎たちと邂逅した鬼舞辻無無惨。
今回は彼の価値観についてバトワンなりに考察し、理解を深めていきたいと思うよ!
これまでの鬼とは一線を画した存在なんだろうね〜!
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鬼舞辻の価値観、自らを天災・大災とする者!
今回の無惨の様子は以下のような感じ。
彼は自らを「天災・大災だと思え」と語った。
これは今まで出てきた鬼と比較しても、ワンランク超越した考え方だよね、こわい!
鬼滅の刃181話より引用 今まで出てきた鬼と比較しても、ワンランク超越した考え方!
自らの存在を、雨風や火山、地震と同様の災害に例えた鬼舞辻。
このメンタリティはもはや人間の発想ではなく、鬼というよりも「神」に近いものだといえるだろう。
ただ、バトワンの人物像観察によると、鬼舞辻は「自らを神だと錯覚するようになってしまった者」といった感覚が強いかな?
上記のような内容は、本当に鬼舞辻が「神の精神」を持っていたとしたら口にするようなものではないんだ。
人間の精神が神を装っているからこそ「なぜ俺を神だと扱わない?」という発想に至る。
鬼舞辻の精神が本当に神の領域に到達しているのなら、微笑みながら無言で立ち、相手が動いた瞬間に無感情に火の粉を払う。
バトワンとしてはそういう感じがするかな!
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人間のメンタリティと走馬灯について!
鬼滅の刃では人間と鬼という2つの存在が主体に描かれている。
もともとは人間だった人間がどこかで“歪み”を得て、鬼になった結果その精神が暴走してしまった。
走馬灯ではそれについての回顧が行われることが多い。
さて、鬼舞辻に関してはどうだろうか?
鬼滅の刃181話より引用 鬼舞辻はもうすぐ神の精神を手にする?
上記のカットを見ると、鬼舞辻は非常に神々しく見える。
無表情であることもその神々しさに拍車をかけているんだ。
しかし、鬼殺隊がなぜ自分に立ち向かってくるのか…という理由については、汲み取ることをやめた様子。
「いつまでもそんなことに拘っていないで、日銭を稼いで静かに暮せば良いだろう」という発言も、彼から人間の価値観が消えつつあることを示しているといえるんじゃないかな!
しかしともあれ、こういう発言が出てくること自体がまだ、鬼舞辻に人間のメンタリティが残されていることの証でもあると思う。
人間は蚊を殺すときに「人間の近くに来ると殺される危険があるのにも関わらず、なぜ寄ってくるのか。甚だ理解できない」などといって殺すことはない。
当たり前のように「バチン!」と叩き潰して終わり。そういうものだ。
今回は人間と蚊の関係に例えたけれども、181話の鬼舞辻と炭治郎のやりとりは「人と人のやりとりの延長線上にある」といえるはず。
バトル漫画の最終盤では進化とか変身がよくあるけれども、鬼舞辻ももしかしたら次の段階では「何も考えずただ殺す」というフェイズに突入するのかもしれないね…!
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