たぶん哲学的・根源的なアレになるからサラリと触れられただけで、深く追求されてこなかったこと。
ワンピース世界にはそういう要素がちょいちょい見受けられると思うんだけど、この「知らない」という概念については、尾田先生的には超高確率で“独自の哲学的解釈”が込められていると思う!
魚人と人間の関係はあまりに溝が深すぎるから、ルフィ達の冒険が描かれている間に全て修復されるとは思わないけど…この要素はワンピース世界の根幹を担う柱のひとつなはずなんだ!
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伏せられた「知らない」ということ、必ず重要になってくる概念なはず!
ということで、今回は作中で登場した「知らない」という言葉の意味について触れていきたい!
一言で“知らない”と表現しても、それだけで全ての情報を伝えられるわけではないんだ。
以下のコアラの脳内における方程式では「知らないこと=怖いこと」なんだね!
ワンピース63巻より引用 知らないことは怖いことのようだ!
確かにそうだ、相手に対して何も知らなければ、相手が何をしてくるかわからないから怖い。
背中にナイフを隠し持っているかもしれないし、食べ物に毒を盛ってくるかもしれない。
知っているから安心できるし、知らないから怖い…というのは、あながち間違った考え方でもない感じだね!
対して、ジンベエのリアクションは以下!
ワンピース63巻より引用 コアラの言葉に理解を示しつつも疑問も抱くジンベエ!
聡明なジンベエのことだから、コアラのこの言葉を聞いて、その心情に即座に寄り添うことも出来たかもしれない。
しかし、上記カットと魚人の特性を踏まえれば“知らない=怖い”という価値観が理解できない…といった雰囲気で解釈できるかも。
“知らない=怖い”という感覚が無いのならば、ジンベエは「相手のことを知らなくても、恐れずに向き合える」ってことになるんだろう!
あるいはこれらは、力において恵まれた魚人族全体にいえる傾向だったりしてね!
こういった種族的な精神特性を考えていくのもまた、今後の理解の階段を一歩降りる役割を果たすかもしれない!
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この概念に結論は出ているのか?
幼少コアラの何気ない発言から組み上げられたひとつの問い。
または、オトヒメ王妃が“人間のことを知ろうとした”という事実。
当時のジンベエにはいまいちピンと来ていなかったみたいだけど「知れば何か変わるのか…」と、この概念に思いを馳せている感じだった!
ワンピース63巻より引用 「知る」ということに思いを馳せるジンベエ!
暗闇を歩く時も、どこに何があるかがバッチリ見えていれば、きっとそんなに怖くない。
コアラとジンベエのやりとりは実はそういったことを意味しているのかもしれないね!
ちなみに以降、彼ら魚人族の英雄・フィッシャー・タイガーは以下のような言葉も残している!
ワンピース63巻より引用 フィッシャー・タイガーは知らないことが救いになるとも考えている!
相手を知ることで何かが変わると考えるオトヒメ王妃と、何も知らない者こそが何かを変えれると考えるフィッシャー・タイガー。
2人は有効的な関係だったけど、考え方としてはここまで正反対で描かれているのが興味深い!
両者の意見の違いはおそらく、それぞれが捉える「人間とは何か?」という根源的な問いに端を発しているんだろうね!
オトヒメ王妃が見据える“人間に対する希望”と、フィッシャー・タイガーが見てきた“人間に対する絶望”の正面衝突…。
この考え方の違いへの理解は、魚人島編を語るにおいてもっとも重要なテーマのひとつだと思うし、今後の“人間・魚人問題”を考える時にもきっと、大きな役割を果たしてくるに違いない!!
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バトワン世界の歩き方を追記!
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