【ワンピース】敵キャラに悲しい過去がある設定に関する批判について思うこと!

ワンピース世界におけるリアリティ、特に人物の内面に関する心の動きは、正直かなり生々しいものがあると思う!

このことは、尾田先生が本当に深い意味で人間を観察しているからこそ、出来ることだよねきっと!

そこで今回は「敵キャラに悲しい過去がある設定」に対する批判・非難について、バトワンなりに思うことを文字に起こしておきたいと思うよ!

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敵キャラに悲しい過去がある設定に関する批判について思うこと!

驚いたことに「敵キャラに悲しい過去がある設定」について、批判・非難の声があるらしいんだ。

人の意見はそれぞれだから誰の意見も尊重される必要があると思うけど「これって非難されるようなことかな?」なんて思ったりする…というのが正直なところ!

まぁ、これからシナリオが進んでいくにつれてバトワン自身の解釈も一転するかもしれないけど、少なくとも現時点ではそう思うよ!


ワンピース867話より引用 マザーを思い号泣するビッグマム!

確かに今回のビッグマムの過去に関しては“人食い問題”っぽいのがあったし、そこに疑問の声が上がるのは理解できるんだ。

しかし、キャラクターのバックグラウンドに悲劇があるパターンを否定するのはどうなんだろう?

上記マムや以前のドフラミンゴとかもそうだけど、人は悲しみや苦しみを通して成長し、痛みやコンプレックスを糧に強くなっていくもの。

逆に、ビッグマムやドフラミンゴ過去に何の痛みも悲しみもなく、温室育ちで幸せに毎日を暮らしていた…みたいな背景しか無かったら、彼女らはあのような大人にはならなかったような気がする!

また、そもそも人間生きていれば痛みや悲しみに打ちのめされたことが無い人なんて…多分そうそういないと思うんだ。

しかしその中でも、そもそもマムやドフラは「良くか悪くか、誰よりも多く&誰よりも大きな痛みに遭遇してしまった人々」なんじゃないかな!

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天は人に大きな役割を任せるとき、その者にまず苦難を与える!

“天は人に大きな役割を任せるとき、その者にまず苦難を与える”みたいな有名な言葉があったと思うけど、まさにこれら一連のコトには、この原理が働いている気がする!

人生における「悲劇の洗礼」に耐え抜いた者こそが、きっと彼女らのような性質の影響力を持つようになる存在だと思うんだ!

悲劇を前に逃げてしまうことが、悪いことだとは思わない。

てか、悲劇に直面している人を見かけたら、むしろ「逃げてくれ!」って思う。可哀想だし。


ワンピース841話より引用 サンジは逃げたけど、これは間違った選択じゃない!

しかし、悲劇をド正面から経験・克服したからこそ「悲劇を経験したことのない者が持ち得ない力」を得る事が出来るというのは、疑いようのない事実だと思う!

ただし、上記の原理は働いているとはいえ、痛みを乗り超える際に生じる摩擦が、人の思考回路に致命的なキズを残す可能性も…一応は示唆しておきたい感じかな!

悲劇と痛みとその代償!

このことから、現在のバトワンが解釈している内容をまとめると以下。

多くの痛みは偶然に与えられ、それを越える際に支払う代償は大きい。

しかしそれを乗り越えた時に得られる力は、常人には持ち得ない影響力を放つ。

おそらくながら「悲しい過去に対する批判」については、このことを前提にして紐解けば、少し視点が変わってくるんじゃないかな?と思うよ!

また、このことは今回のシナリオで「悲劇に正面からケリを付ける機会」を得たサンジに、大きな成長がもたらされるタイミングだと解釈することも出来ると思う!

WCI編が終わる頃には、サンジは精神的にも戦闘能力的にも一回りも二回りも強くなってるかもしれないね!

例えばゾロと再開した時「へェ…顔が変わったな」なんて言われる展開が訪れる日も遠くないような気がする!

悲劇が訪れた際にたった1人になったビッグマムと、悲劇から一旦逃げて“仲間”と共に再度立ち向かっているサンジ。

この両者の対比もまた“悲劇への向き合い方の違い”として観察してみるとまた面白い!!

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