「f分の1揺らぎ」と産屋敷耀哉!
作中中盤では「永遠」をテーマにした問答が交わされることになった。
産屋敷の言葉は現代で言う「f分の1揺らぎ」という発声で、聞くものに安らぎを与える性質を持っていることが知られている。
本来ならば問答無用で殺されていてもおかしくない場面だったと思うけど、この揺らぎの発声法こそが、鬼舞辻が手を下す速度を遅らせているのかもしれないね…!
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永遠を求める鬼舞辻と、それが手に入らないと断言する産屋敷!
人の想いこそが永遠であると主張する産屋敷。
鬼殺隊の多くの隊士は命を落としていったものの、それでもその絆というか想いは永く継承されてきた。
このことが、鬼舞辻が永遠を手に入れられない理由に繋がっていると語る…。
これはシナリオを少し読み進めて、ようやくある程度理解できる内容だったかも。
鬼滅の刃137話より引用 人の想いこそが永遠であると主張する産屋敷!
一瞬、上記の発言は“綺麗事”のように感じる表現だと思う。
しかしよくよくそのメカニズムを考えてみれば、これは納得の出来る「理由」の元に発せられた言葉のように思い直したかな!
ただ、ここには産屋敷と鬼舞辻の2名の受け止める「永遠」という2文字が示す意味が、2重にすれ違っていることも感じたかもしれない!
産屋敷耀哉の主張を要約すると「永遠などは本来存在せず、もし存在するのであればそれは“人の想い”にほかならない」ってことなんだと思う。
鬼滅の刃137話より引用 産屋敷耀哉の意思を継承していく者は沢山いる!
彼が死んでも、その意思を継承していく人間は多く存在する。
現在では上記の柱や炭治郎たちがそうだし、それ以外にも多くの人間が鬼舞辻を恨んでいることだろう。
この恨みの意思は彼らに許されない限り潰えることはないし、ゆえにこれこそが永遠だ…という考え方だよね。
親方様のこの主張もかなり的を射ていると思う!
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対して鬼舞辻はどう考えるのか?
人も死ぬし鬼も死ぬ。
永遠というのはその“死の先”にあり、意思を継いでくれる者がいるかどうかに左右される。
それがお館様の言い分なんだと思う。
対して鬼舞辻無惨には部下のような鬼はいるけど、根本的に「孤独」なんだよね。
彼が死ねば全ての鬼は死んでしまうし、そうすればあとに何も残らない。それでは永遠と呼べない。
以下のカットは産屋敷の言葉がある意味で核心を突いていたことを示している!
鬼滅の刃137話より引用 産屋敷の言葉はある意味で核心を突いていたっぽい!
ただ、こうなってくると今度は「鬼舞辻にとっての永遠とは何か?」という問題に発展してくることだろう。
産屋敷のいう永遠はとても精神的なものだと思うし、もしそれこそが“真の永遠”だとするのなら、鬼舞辻の求めているものはそもそも永遠ではなく“不滅”なだけなんじゃないだろうか?
禰豆子を手に入れることによって太陽を克服すれば、鬼舞辻は徹底的に不滅に近付く。
鬼舞辻が全ての弱点を克服し、永遠に生き続けることを望んでいるだけであれば、お館さまのいう「永遠」は、鬼舞辻にとって不要のものなはずだ。
もし、彼が自らの“死の先”のことに思いを馳せないのであれば…という条件付きになってはしまうけどね!
さて、ここめっちゃ面白い哲学的問答なんだけれども、残念ながら本編では時間切れ。
これにて対話は終わりとなってしまった。
鬼滅の刃137話より引用 これにて対話は終わりとなってしまった…!
残念ながら、お館様の語る「永遠」という概念についての鬼舞辻の解釈はわからずじまいだった。
しかしバトワンとしては、今回のお館様の放った“言葉”こそが最大の攻撃になっていたんじゃないかな?なんて感じるかも!
今回の問答では、これまで考えてもみなかった“永遠の正体”を考え始めるきっかけが与えられてしまった…と受け止めることも出来る。
もし仮にこのままお館様が殺されてしまったとしても、この対話は鬼舞辻の心を悩ませ続けるかもしれない…!!
よし、最後のページでは、この事件を受けての鬼殺隊の動きについて触れていきたい!
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