ヒロアカに登場するドクター、志賀丸太。
彼の名前が“悪い歴史”を想起させるということで、ネット上が大炎上した。
今回はこれに関するバトワンなりの見解・意見を述べていきたい!
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志賀丸太にまつわる炎上に関するバトワンの見解・意見!
今回の炎上ネタとなったのは以下のカット。
ドクターの名前である「丸太」というフレーズが、人体実験とかを想起させるタブー的ワードなんだそうで、これに反感を覚えた読者が苦情の声を寄せたのだそうだ。
そしてそれに対してのジャンプ側からの対応は「そういう意図でつけたのではないけれども、そう解釈されるのは不本意なので名前を変えます」という対応をとった。
要約すると、これが一連の流れだ。
これに対してバトワンはどう考えたのか?というところを示していきたい!
ヒロアカ259話より引用 丸太という名前がひっかかったらしい!
ぶっちゃけ今回の対応に関してはバトワン的があーだこーだ口を挟むようなことではない。
しかしともあれ、あえて個人的な意見をいわせてもらうとすれば「変更などはする必要はなかったんじゃないかな?」という立場の意見のほうが理解できるかな。
まず作者側が「そういう意図でつけたのではない」というのが大きいと思う。
また、もしそれがポーズで「実はそういう意図でつけてた」としても、なんというかこれはOKなやつのような気がするんだよね。
たとえば「核」というワードはかつて日本人に非人道的かつ大きな被害を出したわけだけど、かといって「核というワードを使うな」というのはやりすぎだと思う。(今を生きる人間にとっては起こってしまった過去は変えられず、過ちを踏まえてどうするかの選択だけが可能だ)
さらに明確に言語化するなら、重要なのは“起こってしまった事象”ではなく、それを踏まえて「それにどう向き合うか」という部分だとバトワンなら考える。
仮に丸太が実験による非人道的かつ残忍な被害をもたらすものだったとして、さらにそれを引用して名付けられていたとしても。
確かにその“事象そのもの”も重要だけど、それに対してどう向き合っていくかのほうがより重要なんじゃないだろうか。
そういう観点に立ってみると「そのフレーズを使うな」という発言はむしろ「その事象から目をそらせ、直視するな」といってるようにも感じるかな。実際そうなのかもしれないけれども…。
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文化的な観点から見た今回の炎上
次に「文化的な観点から見た今回の炎上」という側面からみていこう。
今回のクレームに対して、ジャンプ側は非常に速やかな対応を示した。
これが悪いことかどうかの判断は、バトワンにはガチでつかないところ。
バトワンがジャンプ側の立場だったとしたら「そういう表現を用いずとも、作品は世に生み出せる」わけであって、ならば無用なトラブルは避けるべきだ。
さらにそれが「意図せざるもの」だったとしたらなおのこと、スマートに事を収めるためにも今回の対応は自然だったように思える。
しかし、作品の文化発展という観点からみるとどうだろうか?
世の中の作品を「芸術漫画」と「商売漫画」の2種類に分類してみると、なんとなくマイナスの効果があるようにも思えてくるよね。
今回の表現が意図せざるものだったとしても、今回の炎上に対して行った火消しの影響で、クリエイターたちはどう考えるかな?
「過激な表現でリスクがあるくらいなら、無難な漫画を作ったほうが良いよね…」と消極的になってしまうか。
いや、逆に「そういう風潮だとしたら、逆にオレはめっちゃタブーに触れてやる!」という心理になるのか。
さらに、この両極端の漫画家がいたとして、出版社はどちらを重要視するのか。
すでに商売漫画ばっかりの風潮になってきている資本主義社会において、今回の選択は未来にどのような影響を与えるのか…。
いち漫画ファンとして、今回の件は色々と考えさせられる部分があったかな…!
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