着々と最終盤に向かっている約束のネバーランド。
今回は以下、173話を読んでのバトワンなりの感想&考察を示していきたい!
ラートリー兄弟のすれ違いにスポットライトが当たることになったね〜。
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173話ネタバレ確定感想&考察、ラートリー兄弟のすれ違い…![→174話]
ラートリー家の兄弟であるジェイムズとピーター。
かつてのユリウスの記録を見ての反応は正反対だったようだ。
以下のカットではまず、ジェイムズの反応(ミネルヴァさん)が示されて類感じだよね。
ここ、受け取り方が真逆になっているのが面白い!
約束のネバーランド173話より引用 受け取り方が真逆になっているのが面白い!
上記ジェイムズが強い罪悪感に苛まれたのに対し、ピーターはこのタイミングですでに強い肯定感を抱いた様子。
自らの血族がとってきた行動を否定するか肯定するかによって、この兄弟の運命は大きく変わったといえる。
ちなみにだけど、今の約束のネバーランドは「立場」というのが大きな意味を持つようになってきている感じ。
この2人がごくごく普通の一般家庭に生まれていたらその関係はどうなっていたのか…少し気になる部分もあるよね。
仲良し兄弟になっていた世界線もあるかもしれないわけだし…。
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鬼は人間の鑑である…!
ピーターによると「鬼は人間の鑑である」とのこと。
たしかに鬼は人間を飼い、ひどい扱いをしてきた張本人だと思う。
しかしそれと全く同じことを人間だってしてきた…という背景があって。
そのことを考えると、どっちかというと「対人間」のほうが厄介なようにも思えるかな?
種族が違うから「人が鬼に対抗する」とか、あるいは考え方によっては「人が鬼を打倒する」となったり、さらに「人が鬼を裁く」みたいなところまで派生してもまだ成り立つ。
しかし人と人の場合だったらどうなるのか?
上記の方程式が一定のラインで通じなくなるのが重要な注目ポイントだといえよう。
約束のネバーランド173話より引用 鬼は人間の鑑である…!とのこと!
「人が鬼を裁く」というのならまだしも「人が人を裁く」となれば、そこに“何の権利があって”となりかねない。
もちろん法律とかそういう概念を持ち込むことは出来るんだけど、この場合は「互いが“自分こそが正義”だと思っている」みたいな前提があると見なしたほうが良いはずだ。
そういった状況においては、裁く権利というのはどちらにも存在せず、ただ暴力による解決があるのみ。
こういう背景に対し「対話で解決を求める」という性質を持つエマがどう対抗するのか…というのが注目ポイントだよね!
「暴力でしか解決できない」と考える相手を説き伏せる実力が問われる展開。
なんとなく今後の約束のネバーランドは、そういう方向へと向かっているような気がするかな!
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