豊臣秀吉に仕える軍師として有名な黒田官兵衛。
今回はそんな黒田官兵衛について考察し、理解を深めていきたい!
ゲームと歴史の両面から掘り下げつつ、彼の魅力の正体に迫ってみよう!
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黒田官兵衛の強さと人物像考察!
KOEIの無双シリーズにおける黒田官兵衛の外見は以下のような感じ。
“軍師官兵衛”といえば、日本の歴史ファンなら知らない人はいないほどの名軍師だよね!
無双シリーズの中ではなんだか体調が悪そうに表現されているけど…だいじょうぶだろうか?
無双OROCHI2コンプリートガイド(上)より引用 黒田官兵衛の外見表現はこんな感じだった!
史実上で豊臣秀吉自身が“自分にとって代わるかもしれない”とまで評価されていた軍師官兵衛。
豊臣秀吉が恐れたという点を踏まえてデザインされたのが上記のビジュアルのようだ!
官兵衛は天下泰平のために策をひねり出す軍師ではあるものの、人間的な論理観念や人情には薄く、手段は選ばないような印象を受ける。
どちらかというと織田信長よりの発想経路を持っている…といった感じかもしれないね!
天下泰平を最も重要視するため、場合によっては主君である豊臣秀吉さえも利用して切り捨てる…といったぶっとんだ発想の持ち主であるらしい。
恐ろしい…恐ろしすぎるぞ黒田官兵衛!
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実際の黒田官兵衛!
黒田官兵衛は日本一の軍師としても有名であり、またキリシタン大名としてもしられている。
16歳で主君の近習として仕え、隠居した父の後をわずか22歳で継ぎ姫路城城代となったそうだ!
かなりの若さで多くの経験を積み、大人の社会で揉みに揉まれてきたことが、彼を一層大きな男に成長させたのかもしれないね!
30歳のころに台頭著しい織田信長に取り入り、その威光を利用することで無血での播磨平定に尽力。
イレギュラーとして荒木村重の謀反が起こってしまったからうまくいかなかったようだけど、コレさえなければ“戦わずして勝つ”を地で行く、すばらしい戦略だったといえるだろう!
本能寺の変が起こると、秀吉に天下取りの好機であることを進言し、中国代替えしのきっかけをもたらした人物であるとも言われている!
彼がいなければ秀吉が踵を返して明智を討ちにいく決断も鈍ったかもしれないし、あのタイミングで即断を促した官兵衛にはまさに“大局を見渡す目”が備わっていたというしか無い!
ちなみに、仲の良かった小早川隆景からは「頭の回転が早く、物事を即断即決してしまうことから、 後悔することも多いだろう。 」と忠告されるほどの判断力を持ち合わせていたようだ。
まさに屈指の切れ者、天才軍師の名に相応しい人物だったといえるだろう!
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