今回は悠久山安慈(ゆうきゅうざんあんじ)という人物について考察していきたい。
彼は宗次郎や宇水に続く十本刀の強者としてカウントされる。
彼の圧倒的なパワーと体術の腕前は、それこそ作中屈指なんじゃないかな!
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悠久山安慈の強さと人物像考察、二重の極みの創始者!
安慈の外見は以下のような感じ。
彼はもともと心優しき僧侶だったものの、過去に彼の身に降り掛かった悲劇によって転機が訪れる。
この時の悲劇や絶望によって、祈りや慈悲の心だけでは心正しき者は救われないことを理解してしまった。
るろうに剣心17巻より引用 安慈の外見表現は以下のような感じ!
祈りや慈悲の心で、心正しき・優しき者が救われれば、どれほどまでに理想的だろう。
誰かのために行う優しさが、周り巡って自分に対して戻ってくればいい。
安慈はきっと、そんなプラスの循環を信じていたんだろうね。
しかしその信仰は、絶望と悲劇によって失われてしまうことになったみたいだ。
この出来事をきっかけに、彼は破壊の極意である“二重の極み”を10年かけて会得した。
さらん、全身のあらゆる箇所を攻撃に転用し、あらゆるものを文字通り粉砕する力を身につけ、邪悪な者を滅するための破戒僧となる。
まさにその様子は“静かなり怒りに満ちた仁王像”といったところだろうか…!!
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志々雄没後の安慈。
志々雄真実が没した後は、安慈は罪を償うために明治政府に出頭した。
これが彼なりのケジメの付け方だったんだろうか。
自身の内側と向き合うことに誰よりも長けている人物っぽい印象を受けるからこそ、彼の心中が気になるところだ。
るろうに剣心17巻より引用 志々雄没後の安慈はこんな感じだった!
出頭後の彼は功労者の嘆願によって極刑を免れ、懲役25年の実刑判決となった。
その上で、北海道の集治監に服役することになったみたいだ。
あまり喜怒哀楽を表に出さない安慈なわけだけど、彼は25年の年月をどのような思いで過ごしたのだろう。
自分が辿ってきた道を何度も思い返し、その罪を噛み締めていたんだろうか?
いや、彼ほどの人物であれば、行動を起こしている時点でそれが“必ずしも正しいとは限らないこと”であることを理解していたはずだ。
となれば、この25年という時間は、彼にとって“自分と向き合うための時間”みたいな感じで消化された感じなのかもしれないね。
とはいえ、世間的には安慈は大罪の身って感じだと思うし、社会的な許しを得るためにもこういう投獄は必要な時間だったのかもしれない。
永遠にも思える25年という長い年月。
その中で彼が辿り着いた境地とはいったいどのようなものだったのだろうか。
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