今週も盛り上がったヒロアカ393話。
以下、本編を読んでのバトワンなりの感想&考察を示していきたい!
今回はなにより、トガちゃんの人生においてずっと抱え込んできた葛藤的なものがクローズアップされる展開になったね!
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393話ネタバレ確定感想&考察、トガ戦クライマックス近し![→394話]
今回の393話入り口のテーマはヴィラン名。
もともとは得体の知らない相手に対する呼び名だっただけのようだけど、初期のヴィランはその素性を隠すためにヴィラン名を名乗り始めた。
これはある意味、コードネームのようなものだよね。そういう犯罪はリアルでも思い当たるフシがいくつもあると思う。
死柄木もなかなか冷静に分析してるねー、さすが!
ヒロアカ393話より引用 死柄木もなかなか冷静に分析してるねー、さすが!
それに対して以下、トガちゃんの方針はこのような感じ。
彼女はヴィラン名をつけず、トガヒミコとして生きていくことを決めているとのこと。
彼女はずっと認められない人生を歩んでいたからね、もしかしたら「自分くらいは自分を認めてあげないと」的な意識が働いたのかもしれない。
トガちゃんのしてきたこと置いておくとして、個人的に以下の判断はとても素敵な判断だと思う!
ヒロアカ393話より引用 個人的に以下の判断はとても素敵な判断だと思う!
なお、左側の「そっちの尺度で〜」という発言もとても共感できるところ。
そうなんだよね、多数派の意見が常に正しいとは限らない。
なぜなら、多数派の意見が常に正しいというのなら、たとえば小学校の学級を例に考えてみたらどうだろう?
多数の小学生の意見が一致したからといって、それが必ず正しいのだろうか?
多数の一致した小学生の意見より、1人の先生の意見のほうが正しいということはありえないのか?
もちろん例外はあろうけれども、多数派が必ず正しいと断じることはやっぱ危険だよね。って思うところはあるかな!
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お茶子の手はトガちゃんに届くのか?
次に見ていきたいのは以下のカット。
苦しみもがくトガちゃんの深いところに踏み込もうとするお茶子。
これはトガちゃん的には拒絶したいところであり、まさに「うっせぇわ」の心境だろう。
なんだけど、そんな風に思われたとしても、正しいヒーローならその心の深いところに手を差し伸べたくなるものだよね。
このあたり、お茶子の精神的な成長を感じたかな!
ヒロアカ393話より引用 お茶子の手はトガちゃんに届くのか?
で、今回のラストで描かれたのが以下のカット。
文字では表現されなかったけど、このカットがあった…ってことはだよ?
お茶子が伸ばした手は、トガちゃんの深い部分に届いた…ってことでいいのかな?そうだよね?
ヒロアカ393話より引用 お茶子が伸ばした手は、トガちゃんの深い部分に届いた…ってことでいいのかな?
なにはともあれ、かなり複雑な心理状態が描かれた今回の393話。
ここ最近では心理描写より派手なバトルシーンとか、アンパンマンみたいな勧善懲悪系の表現に人気が集まってるようだけど、やっぱりヒロアカは「人間」を見つめてて、いいねー!
次回のエピソードではお茶子に手を差し伸べられたトガちゃんがどのような反応を示すのか…楽しみにしていきたい!
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バトワン世界の歩き方を追記!
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