壮絶な最後を遂げたトガヒミコ。
今回は以下、395話を読んでのバトワンなりの感想&考察を示していきたい!
いやーすごかったねトガちゃん。魅力的だった!
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395話ネタバレ確定感想&考察、トガヒミコ死亡![→396話]
ずっとメンヘラ系のキャラとして存在感を発揮してきた彼女。
なんだけど、彼女には彼女なりの理由があって行動してきたわけで、それを理解しようとする人が皆無だったのもまた事実だった。
そこに手を差し伸べたのがお茶子だったわけで、その言葉が、行動が、彼女の心にまで届いたのはすごいことだ!
ヒロアカ395話より引用 お茶子のの言葉が、行動が、彼女の心にまで届いたのはすごいことだ!
今回のトガちゃんの改心に関しては、お茶子に対して「見事」としか言いようがないよね。凄かったと思う。
ヴィランだから排除するとか、逮捕するとかそういう選択肢はいくらでもあった。
にも関わらず、歩み寄って本当の意味で救おうとしたのがお茶子だったわけだよね。
前者はそれこそ「臭いものにはフタをして見なかったことにする」という監視社会・管理社会思考の考え方。
それに対してお茶子の考え方は「和をもって貴(たっと)しと為す」という、協調・融和の考え方だといえるだろう!
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トガちゃんの心のゆらめき!
で、以下のカットでは引き続きトガちゃんの心のゆらめきが描かれることになった。
彼女はこれまで、好きな人の「血を吸う」ことで、相手を自分の内側に取り込み、その人になりたいと思っていた。
なんだけど、今回はお茶子に「血をあげる」ことで、その人になれる…という考え方も得た感じ。
以下のカットのトガちゃんの雰囲気は、もはや狂気的なそれではなく、普通に“慈愛”に満ちた、温かいものだったように思う。
運命は残酷だったけど、もっと早く2人が出会えていたら、トガちゃんはもっと浅いところで救われていたかもしれないよね。
ヒロアカ395話より引用 トガちゃんの心のゆらめき!
で、今回のラストは以下のカット周辺でフィニッシュ。
「好きに生きて、好きに生きた」
このフレーズがかなりのパワーワードで芸術的だったように思う!
それぞれの「好き」が違う意味で使われているね!
ヒロアカ395話より引用 このフレーズがかなりのパワーワードで芸術的だったように思う!
好き(な人や物、事)のために、好き(好き勝手に)生きることができた。
その人生は決して順風満帆ではなかったとはいえ、彼女は確実に自由であったし、楽しく生きたことは間違いなかったよね。
そして最後にお茶子という友人を得て「自分なりの普通」に自信が持てた感じ。
彼女の普通を理解しない人はなお今後も多いだろうけど、それでもトガちゃんがちゃんと納得できたのは素晴らしいことだ!
彼女の力強い生き様には、かなり敬意を払いたいような心境になったかな!
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バトワン世界の歩き方を追記!
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